介護を初めて1か月ほど。
排泄介助で怒られたり、先輩に注意されたり、利用者さんに強く言われたり。
できない自分が情けなくて、怖くて、朝になると体が動かなくなっていきました。
気づけば私は、少しずつ休みがちになっていました。
休むたびに罪悪感が増えて、罪悪感が増えるほど、また行きずらくなる。
「迷惑をかけるくらいなら、辞めた方がいいのかな」
そんな考えが頭の中をぐるぐる回って、夜も落ち着かなくなっていました。
あの頃の私を一言で表すなら、”逃げたい”と”頑張らなきゃ”が同居していた感じです。
行けば怖い。休めば苦しい。
どっちに転んでも、自分を責めてしまう。
そんな時に私を救ったのは意外なものではありませんでした。
それは、管理者の寄り添いでした。
ある日、管理者が私声をかけてくれました。
責める感じではなく、淡々と、でもちゃんとこちらを見て。
「どうして来れないんだ?」
そう聞かれた時、私はすぐに言葉が出ませんでした。
言ったら怒られる気がしたし、「甘えるな」と言われそうで怖かった。
でも管理者は、そこで畳みかけるように叱るんじゃなくて、少し間をおいて、こう言ってくれたんです。
「会社に来てくれさえすれば、自分が何とかする」
この言葉に、私は本当に救われました。
たぶん、介護の現場で一番しんどいのは、
「できない」ことそのものより、”居場所がない”と感じることなんだと思います>
ミスが怖い。怒られるのが怖い。
それ以上に、「また迷惑をかける」「また嫌われる」と思うと、職場のドアがものすごく重くなる。
そんな時に、「来てくれさえすればいい」と言われた。
”結果を出せ”でもなく、”完璧にやれ”でもなく、
まずは来ることを優先していいと言われた。
その瞬間、私の中で張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ気がしました。
「行ってもいいんだ」
「逃げてるって責められないんだ」
「一人で抱えなくていいんだ」
管理者が寄り添ってくれたことで、私の”休みがち”は少しずつ変わっていきました。
もちろん、魔法みたいに一気に元気になったわけではありません。
でも、休みがちだった私が戻れた理由は、はっきりしています。
それは、管理者が”来られない理由”を、根性や甘えで片付けなかったからです。
「どうしたら来られる?」
「何が怖い?」
「どこが一番つらい?」
そういう視点で、私の状態を見てくれた。
それだけで、私の中に「もう一回やってみよう」という小さな火がつきました。
そして何より大きかったのは、
”自分が何とかする”と言ってくれたことです。
この言葉は、責任を押し付ける意味ではなく、
「あなたを一人にしない」という宣言に聞こえました。
新人の頃って、仕事ができないのは当たり前なのに、
”できないこと”を申し訳なく思いすぎて、助けを求められなくなる。
その悪循環を、管理者が断ち切ってくれたんです。
例えば、その後のは私はこう変わりました。
- 出勤前の胃の重さが少し軽くなった
- 「まだ迷惑かける」の前に「困ったら言えばいい」が出てきた
- 失敗しても、次のやり方を聞く余裕が少しだけできた
- ”怖いから休む”ではなく、”怖いけど行ってみる”に変わった。
休みがちが治ったのは、「私が強くなった」からじゃない。
支えてくれる人がいて、心が回復するスペースができたからだと思っています。
この経験から、私は今でも大事にしていることがあります。
それは、しんどくなった時にいきなり「頑張る」を増やさないこと。
まずは「戻れる形」を作ること。
介護って、人を支ええる仕事です。
でも実は、働く側も支えがないと続きません。
”根性”で持ちこたえた人ほど、ある日突然ガクンと折れてしまう。
だから私は、あの時の管理者の言葉を、いまでも覚えています。
「会社に来てくれさえすれば、自分が何とかする」
もし今、休みがちになっている人がいたら、伝えたいです。
あなたは怠けているんじゃない。
心や体が「このままだと危ない」とサインをだしているだけかもしれない。
そして、もし周りにしんどそうな人がいるなら、
「なんで来ないんだ」よりも先に、
「来られる形、一緒に作ろう」
そう言ってあげてほしい。
どれだけで、救われる人がいます。
私はその一人でした。
よければコメントで教えてください。
あなたが「もう少し頑張れる」と思えた、誰かの言葉はありますか?
短くても大丈夫です。あなたの経験も聞かせてください。
※本記事は個人の体験談をもとにしており、特定の個人・施設を指すものではありません。プライバシー保護のため表現を一部調整しています。

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